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矢櫃徳三展 ミーティングハウス2号・無耳法師・ミナカルテルラ・ロンギフィラ
平成29年7月31日(月)〜8月6日(日)11時〜18時(最終日17時まで)

日本空襲 1942 4/18~1945 6/15 (1945年) 7月20日に原爆の摸擬爆弾が東京駅東側の堀で呉服橋と八重洲橋の中間付近に投下された。1人が死亡している。皇居周辺をねらって落とされたものである。 受忍編 1980年、原爆被爆者対策基本問題懇談会 (厚生大臣委嘱) 「およそ戦争という国の存在をかけての非常事態のもとにおいては、国民がその生命、身体、財産等について、その戦争によって何らかの犠牲を余儀無くされたとしても、それは、国をあげての戦争による「一般の犠牲」として、すべての国民がひとしく受忍しなければならない」 日本本土空襲被災地の概略 1942年4月18日 東京、横浜、横須賀、名古屋、四日市、神戸(ドゥーリットル空襲)などにB25爆撃機16機が飛来し爆弾を投下して飛び去った。死者87名、重軽傷者466名 1942年7月17日 和歌山県那智勝浦町カツオ漁船「天竜丸」20トン八丈方面で沈没 死者11名(潜水艦による攻撃で) 1943年10月29日 和歌山県那智勝浦町マグロハエナワ船「事代丸」30トン、海軍から「監視業務」を命じられた船で八丈方面で沈没 死者18名(潜水艦による攻撃で) 1944年6月16日 北九州(マッターホン計画) 八幡で69名、小倉で94名、戸畑で53名、門司で34名、若松で6名 計256名の死者、行方不明者を出す。 中国四川省の成郭基地から75機のB29が離陸し北九州を空襲 7月8日 長崎、佐世保、諫早 8月5日 福岡、小倉 8月10日 諫早 8月11日 島根、長崎(夜間空襲、昭和20年7月29日 死者43名負傷者600名、31日、8月1日)倉幡地区 8月20日 八幡製鉄所(B29 61機で80発の爆弾が命中し、戸畑、八幡両市には360発が投弾され、二百数十名が死傷した。)佐世保、長崎、大村、倉幡地区 8月21日 八幡製作所、倉幡地区 10月10日 沖縄全域「10・10空襲」那覇南方上空に米軍の艦載機が現われ、那覇、嘉手納、読谷、伊江の飛行場に銃爆撃を浴びせる。米海軍の第38●部隊の空母から約1,400機の攻撃機が攻撃を加え、全市の約90%を焼失させる。琉球王国のシンボル、首里城も破壊。この日の空襲は、奄美諸島から石垣島、大東島、南西諸島全域を襲う大規模なものだった。死者548名、負傷者698名、焼失家屋1万1,513戸。 10月25日 (B29 56機、死者2,300名と伝えられる。) 大村海軍航空廠、長崎、佐世保、大村(B29 56機飛来2,300名死者) 11月11日 大村海軍航空廠(B29 29機)長崎、佐世保、大村、福岡、尾道 11月21日 大村海軍航空廠(B29 61機)大牟田、熊本、佐賀 11月24日 東京(B29 111機、M69焼夷弾)江戸川、荏原、品川、杉並、他(武蔵野町中島飛行機、武蔵野製作所、250キロ爆弾48発命中、死者57名、負傷者75名)川崎臨海工業地帯(9個の爆弾、2個の焼夷弾) 11月27日 東京(B29 81機)渋谷、城東、江戸川、他(143戸の家屋が焼け、死者41名、罹災者486名 11月30日 東京(B29 27機)神田一帯は初の夜間焼夷弾攻撃、本所、城東、芝、他 12月3日 東京(B29 86機)杉並、板橋、江戸川、中野、他 12月13日 名古屋(三菱重工、B29約80機が来襲)千種区、東区、北区、中村区の市街地にも投弾。死者330名、罹災戸数487戸。 12月18日 名古屋(三菱航空機製作所、B29 73機来襲)港区、西区、瑞穂区、南区、死者334名 12月19日 大村海軍航空廠(B29 40機)中河内郡(大阪府下への初空襲)B29 1機 12月22日 名古屋(三菱重工、発動機製作所、B29 62機が飛来)東区、熱田区 12月25日 横浜市鶴見区、港北区(B29 3機) 12月27日 土浦下館、川越、東京(中島飛行機)、八王子(B29 72機)、板橋、中野、杉並、王子、他、沼津 1945年1月3日 大阪市街(阿倍野区、布施市、中河内郡(10機のB29通過焼夷弾投下)名古屋市街(B29 78機で市街地へ無差別の焼夷弾3,588戸を罹災、70名犠牲 1月6日 九州西部 1月9日 東京(中島飛行機、B29 72機、麹町、芝、牛込、深川、大森、他)横浜(中区、神奈川区)鎌倉郡深沢村、横須賀市逸見町(B29 21機、死者6名)藤枝、沼津、名古屋、三重、和歌山(B29 死者2名)高知 1月14日 名古屋(三菱重工、B29 62機が爆撃に参加、熱田区、中川区、港区、南区、死者94名)宇治山田 1月16日 京都市内(B29 死者41名、負傷者50名、東区) 1月19日 新宮、阪神(川崎航空機明石工場(明石市)への爆撃、B29 80機、600台の製作機械のうち300台破壊、市街地324名死亡、600戸以上の家屋破壊、3,000名以上罹災)大阪市港区、西成区、大正区(B29各1機 死者26名) 1月23日 名古屋(B29 60機飛来、市街北部三菱発動機製作所、死者125名)、京都府下 1月27日 東京(中島飛行機武蔵製作所)(B29 76機、「花の銀座を瓦礫の街…」麹町、芝、牛込、深川、大森、他)八王子 1月30日 (大阪市北区、城東区、北河内郡)B29 1機 死者63名  和歌山県那智勝浦町カツオマグロ船神栄丸潮岬沖で室戸の漁業無線局に「敵潜水艦発見…状況緊迫…」と打電して連絡絶つ 死者16名 2月4日 松阪、大垣、神戸東部(神戸川崎・三菱神戸造船所、神戸市街地無差別空襲、焼夷弾の戦術的実験、集束焼夷弾、破砕集夷弾も使用。投下間隔は個々の焼夷弾が目標地域で適度に広がるよう500フィート(約152メートル)に設定。85機のB29が侵入、林田区、兵庫区一帯および湊東区を中心に1,900戸以上の家屋が焼失、死者26名被災者5,800名 2月10日 足利、太田(中島飛行機)98機のB29が襲いかかり、高性能爆弾と焼夷弾投下、罹災戸数952棟、死者363名 大阪市生野区B29 1機 死者26名 2月14日 大阪市阿倍野B29 1機 死者24名 2月15日 名古屋(三菱重工、B29 101機飛来)千種区、東区、南区、中村区 死者61名、罹災709戸、浜松 2月16日 東京(B29 2機、艦上機290 大森、渋谷、中野、蒲田、杉並、他)横浜市、川崎市、横須賀市、藤沢市、小田原市、平塚市、三浦郡中郡、艦上機273機 死者24名 水戸、空母艦載機の攻撃(ジャンボリー作戦) 2月17日 東京(B29 1機艦上機600 赤坂、大森、淀橋、中野、他)(横浜市、川崎市、平塚市、中郡、高座郡)艦上機326機 11人死亡 2月19日 東京(B29 152機 王子、深川、神田、京橋、赤坂、四谷、葛飾、江戸川、渋谷)(横浜市、鶴見区、神奈川区)B29 123機 死者8名 2月25日 羽生、越ケ谷、東京(B29 231機、艦上機延600機、下谷、神田、四谷、赤坂、本郷、浅草、荒川(横浜市足柄下郡、足柄上郡)艦上機116機 3月4日 東京(B29 194機 豊島、滝野川、城東、向島、他)(大阪市、吹田市、三島郡(ビラを散布)B29 1機、3,184名死亡 3月7日 高知 3月10日 盛岡、仙台、水戸、千葉、横浜市港北区樽町(B29 3機)、東京(下町大空襲「東京大空襲」と呼ばれる首都壊滅作戦、来襲したB29 334機、墨田、江東地区に焼夷弾の絨毯爆撃 先頭のB29は準備火災を発生させるためナパーム充填のM47焼夷弾(70ポンド)180発を携行。1機平均6トン、B29 334機、合計2,000トンの焼夷弾。隅田川をはさんだ本所、深川、浅草、日本橋地区一面火の海。「火は風を呼び、風は火を呼ぶ」で、劫火は激流となり瞬間風速50メートル以上の火事嵐も発生。死者8万3,793名、負傷者4万0,918名、罹災人口100万8,005人、罹災家屋26万8,358戸、平市(現いわき市)(B29の空襲に遭い死者16名、600戸あまり被害) 3月12日 名古屋市内(B29 288機つぎつぎに焼夷弾を投下 死者519名、重軽傷734名、罹災戸数2万5,734戸 3月13日 大阪(大阪市、堺市、泉大津、布施市、中河内郡、泉北郡)B29 279機、焼夷弾1,733トン 死者3,968名、罹災13万4,632戸 尼崎、西宮 3月15日 和歌山県湯浅町山田の山林に焼夷弾落下。 3月17日 尾鷲、神戸市街(六庫区、湊東区、長田区、湊区、須磨区、葺合区、灘区、三菱神戸造船所)B29 309機来襲、死者2,598人、重軽傷8,558人、罹災6万5,728戸 3月18日 和歌山、四国一部、鹿児島(死者6名、負傷者59名)、鹿屋、出水など九州全域  和歌山県有田市(旧箕島町役場付近)に72フマンによる機銃掃射。湯浅町の兵事係に命中し死亡 3月19日 名古屋市内(B29 230機 3万9,893戸が被害、死者826名、負傷者2,728名、罹災者14万2,887名)阪神(大阪市、吹田市、池田市 死者369名 罹災371戸)瀬戸内海(呉)九州全域 3月20日 横浜市港北区中山町 B29 1機 3月24日~25日 名古屋市内(3月24日 B29 226機が飛来 三菱発動機工場、千種、東区 死者1,617名、罹災戸数7,066戸、重軽傷770名)春日井 3月27日 鳥栖、関門海峡(B29機雷投下){大刀洗町(福岡県)、大分飛行場、大村航空廠}B29 150機約1,000発爆弾投下 3月29日 和歌山、高知、松山、佐世保、宮崎、鹿児島 3月30日 伊勢湾(機雷投下)名古屋(千種区、東区、昭和区、三菱発動機製作所)B29 12機 死者29人、重軽傷9人、罹災185戸 3月31日 大刀洗町(福岡県)周防灘、豊後水道、鳥栖、大村飛行場、長崎南方海域、鹿屋 4月1日 米軍は沖縄本島への上陸作戦を開始 4月2日 東京(中島飛行機武蔵工場、三多摩、板橋、杉並B29 124機)(横浜市港北区恩田長、藤沢市辻堂、川崎市木月B29 60機)、呉軍港付近(機雷投下) 4月4日 大泉町(群馬県中島飛行機)、東京(立川飛行場、淀橋、下谷、芝、向島、深川、品川、他B29 160機 横浜(臨海工業地帯)(神奈川区、鶴見区、港北区、戸塚区、川崎市(臨港、中原、高津)B29 80機 死者398人、1,163罹災 静岡(三菱重工静岡発動機製作所) 4月7日 東京(中島飛行機武蔵工場 B29 103機全屋根面積破壊…)横浜市南区、保土ヶ谷、磯子区、鎌倉郡(B29 30機 死者1名)静岡、浜松、名古屋(三菱重工、千種区、東区、北区、中川区、三菱発動機製作所)B29 182機 死者302名、重軽傷133名、罹災5,191戸 4月8日 玉野(死者8名)宮崎、鹿児島(市街地を狙った破裂爆弾による無差別攻撃。午前10時30分、数十機の編隊が無差別爆弾を加え、250キロの大型爆弾を約60発投下。真昼の鹿児島市は火の海。直撃弾や爆風による死者587名、負傷者424名。 玉野(玉野市和田周辺、突然轟音とともに家々の雨戸、窓ガラス吹っ飛ぶ。)死者8名、足をなくした人や、指を落とした人もいた。落とされた爆弾は8発、3発は不発弾 4月12日 郡山(B29 141機、目標は保土谷化学工業、郡山化学工場などの工業地帯、456トンの爆弾が投下、死亡約530名、市内罹災戸数2,351戸)埼玉県下、東京(中島飛行機武蔵工場、4月2日、25機、7日、103機、12日、107機のB29。この3回の空襲だけで死者200名)杉並、板橋、荒川 4月13日 東京(B29 330機、4月13日深夜から14日未明にかけて、皇居西北に位置する赤羽、豊島、王子、小石川、荒川、四谷、牛込区、渋谷、向島など広域に焼夷弾と爆弾を投下。被害は焼失家屋役20万戸、死者2,459名、負傷者4,746名、罹災人口66万6,000名)。 4月15日 東京(B29が15日深夜から16日未明にかけて、大森、荏原、蒲田など城南・京浜工業地帯を襲う。焼失家屋役6万8,400戸、死者841名、負傷者1,620名、罹災人口約26万4,000名)横浜市、川崎市、鶴見区、神奈川区、保土ヶ谷区、磯子区、中区(川崎市には午後10時3分、約20機B29が、照明弾と焼夷弾投下、火災が発生すると、B29の主力部隊が火災を目標に投弾。東京の蒲田、横浜鶴見区と一体になって行われ、約200機のB29が参加、120トンの通常爆弾と焼夷弾投下。全半壊家屋3万3,361戸、同工場等287、罹災者10万名、太平洋戦争を通して死者約1,000名、重軽傷者2万5,000名。宮崎、鹿児島 4月16日 京都、空襲南部飛行場 4月17日 宮崎、熊本、鹿児島 4月18日 宮崎、鹿児島、福岡 4月19日 狭山、東京(武蔵野、荏原、目黒、大森、他)B29 25機 厚木(横浜市南区、戸塚区、高座郡、三浦郡)P51 40機 死者8名、罹災35戸 4月21日 九州全域(主に南九州)大分県の宇佐海軍航空隊の基地を攻撃したB29 27機が柳ケ浦村(現宇佐市の住宅地に投弾、死者9名、負傷者30名、家屋の倒壊36戸、焼失33戸、破壊860戸。 鹿児島市B29 10数機来襲、爆弾約200発(時限爆弾)投下。 4月22日 松阪、波切、明野飛行場、宇治山田、宮崎、鹿児島 4月23日 境港、松江 4月24日 立川(日立航空機)、三多摩(B29 133機)静岡(住友金属工業プロペラ製作所)横浜市(横浜港)三浦郡葉山町、津久井郡中野町(B29 3機) 4月26日 四国・九州飛行場 4月27日 南九州飛行場 4月28日 南九州飛行場 4月29日 和歌山、南九州飛行場 4月30日 立川(立川陸軍航空廠)、八王子、他(2回)B29 111機 浜松(軍需工場が多く立ち並んでいた市街を目標に69機のB29が爆撃、死者約1,000名)、南九州飛行場 5月1日 岩国、九州飛行場  和歌山県日高郡印南町切目崎沖、田辺市芳養のカツオ漁船「長福丸」(40トン)が、3機の尾翼のそり上がった米軍の小型機急襲 死者6名。徴用で爆雷を「長福丸」2個積まされていた。 5月3日 岩国、九州飛行場、久留米、宮崎、鹿児島 5月4日 和歌山、開門海峡(機雷投下)、大分、大村 5月5日 東京、直江津、伊勢湾及び瀬戸内海、広海軍工廠(呉)、九州及び四国飛行場 5月7日 九州飛行場設備 5月8日 千葉、茨城付近飛行場、今治、四国、九州飛行場設備 5月10日 呉、徳島(第3海軍燃料廠では1日3,000バレルの原油を精製、約80機のB29来襲、1時間にわたって空襲、全機能が破壊、死者294名)岩国(B29延べ240機による波状攻撃で装束町の陸軍燃料廠、麻里布製油所が爆撃、250キロ爆弾約2,000発を投下、死者360名)松山、九州 5月11日 新宮、神戸(B29 92機が川西航空機甲南製作所を目標にした精密爆撃。250キロの通常爆弾や大型の1トン爆弾を搭載し約460トンの爆弾を投下、中央工業地帯壊滅し、1日で約1,100名の死者、罹災戸数3,728戸を出す。)西宮(85名死亡)芦屋 5月12日 阪神 5月13日 大分、宮崎、鹿児島  和歌山県西牟婁郡すさみ町 正午ごろB24と思われる敵機、江住駅付近を機銃掃射、停車中の列車の乗客2名死亡。 5月14日 名古屋市街(B29 480機来襲、名古屋城周辺に2,000個以上の焼夷弾投下、死者276名、重軽傷者783名、罹災2万1,905戸)岡崎、九州飛行場、滋賀(B29 580機) 5月17日 名古屋市街(全市)(B29 468機、死者505人、重軽傷者1,300人、罹災2万3,695戸)横浜市、藤沢市、高座郡、中郡、戸塚市(B29 1機、P51 40機、死者3名、重軽傷5名、罹災5戸)滋賀 和歌山県西牟婁郡串本町袋地区B29による深夜焼夷弾死者1名 5月19日 関東地方(B29 30機 浅草、荒川、向島、他)浜松(市街地が空襲、死者約450名)静岡、豊橋 5月24日 埼玉県下、東京(B29 525機が渋谷、世田谷、杉並、目黒、大森、品川、麹町、麻布、牛込、本郷、他を襲った。3,646トンの焼夷弾を投下、焼失家屋約6万5,000戸、死者762名、負傷者4,130名。)横浜市、川崎市、高座郡(B29 250機 死者74人、重軽傷185人、罹災2,047戸)浜松、静岡、九州南部 昭和19年11月から翌年8月の終戦までに、東京は130回もの空襲。警視庁の資料では4,347機の敵機が来襲し、1万1,642発の爆弾と38万8,742発の焼夷弾投下。死者9万5,996名、負傷者7万0,971名、被災家屋76万6,615戸、罹災者286万1,882名となっているがもっと多いとされている。 5月25日 関東地方(B29 470機が5月25日の深夜から26日にかけて来襲、まだ攻撃を受けていない地区中野、四谷、牛込、麹町、赤坂、世田谷、三多摩(P51 60機)他に3,238トンの焼夷弾を投下される。 度重なる空襲で、5月末までには東京は「全市街の50.8パーセントにあたる56.3平方マイルを焼失、名古屋とともに東京も焼夷弾攻撃目標リストから抹殺(『米戦略爆撃調査団報告書』)。 横浜市、川崎市、横須賀市、藤沢市、高座郡(B29 500機 死者7人、重軽傷15人、罹災戸数115) 5月28日 千葉、茨城飛行場、南九州 横浜大空襲 5月29日 東京(芝、大森、蒲田、品川、目黒B29 40機)横浜(横浜市中区、南区、西区、神奈川区、保土ヶ谷区、鶴見区、川崎市)B29 500機が約100機のP51の護衛を付けて横浜上空に侵入、焼夷弾で市街地を爆撃。第1目標は神奈川区青木橋付近、第2目標西区平沼橋付近、続いて中区の関内や本牧、南区の吉野橋。横浜市内の約44パーセントが1日で、壊滅。死者3,787名、重軽傷者1万2,391名、罹災者32万3,144名とされるが、実際の死者ははるかに多いと思われる。 6月1日 紀伊半島、奈良、大阪(大阪市、布施市、中河内郡 B29 400機、P51 11機 死者3,083人 罹災戸数6万4,163戸)尼崎(死傷者約500名)徳島、高知 6月2日 徳島、南九州飛行場 6月3日 南九州 6月5日 新宮、神戸(灘区、葺合区、生田区、長田区、須磨区 B29 474機3,000トンの焼夷弾や爆弾が投下。この日の焼夷弾攻撃により市街は3月17日の西半分に続いて東半分も焼失、神戸は完全に焦土化。死者3,184名、重軽傷5,824名、罹災戸数5万5,368戸)西宮(30名死亡)芦屋 現在の神戸市域の被害罹災者総数53万0,858名、死者7,491名、重軽傷者1万7,002名、被災戸数14万1,983戸となっているが確定していない。 6月6日 南九州 6月7日 大阪(大阪市、豊中市(大阪北部から豊中市にかけて409機のB29 138機P51 死者542名、負傷者283名、全焼全壊1,645戸、罹災者1万名)、吹田市、池田市、茨木市、守口市、牧方氏、高槻市 B29 250機 死者2,043人、罹災戸数5万7,051戸)尼崎(B29 250機)高知 和歌山県御坊市の寺院に大型爆弾死者11人。 6月9日 名古屋(熱田区、南区、港区、愛知時計電機工場への空襲では警報の解除により防空壕に退避していた工員たちが工場に戻った、戻ろうとしたタイミングで爆撃、死者2,068名、負傷者1,944名、罹災戸数1,843戸、B29 43機)明野、勝浦(和歌山)、各務原、川西航空廠鳴尾工場(西宮市)が標的 明石市、西宮市一帯も同時に空襲、B29 69機、罹災1,858戸、692名死亡。川崎航空明石工場 和歌山県那智勝浦町大空襲 死者40人全町戸数1,083戸のうち730戸罹災 6月10日 日立(B29 121機、アメリカ軍は製作所の工場を目標に定め、波状攻撃、1トン爆弾800発以上海岸工場に投下、施設の99パーセント破壊。さらに一般住宅約1,500戸全壊、900戸半壊。1,500名死亡、重軽傷者1,000名近い)霞ケ浦、土浦、千葉(B29 27機 日立航空機千葉工場爆撃。爆弾は約140トン、工場は大損害を受け、さらに隣接する町村に落下、死者391名)板橋、立川、横浜市中区、磯子区(B29 363機 P51 30機死者136名、重軽傷494名、罹災144戸) 6月11日 北多摩、調布、杉並、世田谷、八王子、立川、他(B29 60機)、若狭湾 6月15日 和歌山(6月15日、22日の空襲では犠牲者30名)宇治山田、大阪(大阪市、堺市、豊中市、吹田市、池田市、B29 469機)死者460名、罹災5万0,678戸)尼崎市内、西宮(死者110名、B29 150機)芦屋、伊丹、徳島 (尼崎は十数回に及ぶ空襲で、死者合計479名、負傷者709名、罹災者4万2,000名) (豊中は死者18名、重軽傷13名 B29 300機) 6月16日 相模湾、富山湾、新潟 6月17日 浜松、四日市、大牟田(軍需生産工場郡のあった大牟田、荒尾地区の死傷者360名)鹿児島(171機のB29の大編隊が来襲し、焼夷弾1,023トン、破壊目標の105パーセント破壊。死者2,316名、負傷者3,500名、罹災戸数1万1,649戸、罹災人口6万6,134名) 6月18日 浜松(浜松大空襲で市街地の約70パーセントが焼け野原、約1,800名死亡。浜松には横浜、川崎を上回る量の計3,850トンの爆弾投下)四日市(B29 89機により567トンの焼夷弾投下、死者、行方不明は799名。焼失戸数1万1,390、市内の約35パーセント焼失。罹災者約5万名。)大牟田。 6月19日 静岡(B29 123機、約3時間にわたり焼夷弾7,893発、高性能爆弾51発を、市街地に対する無差別爆撃で投下。死者約2,000名、重軽傷者約2万2,000名)豊橋(B29 136機 空襲は約3時間に及び、約950トンの焼夷弾投下、市街焼け野原、犠牲者624名、罹災者7万人を超える。)新潟港、宮津湾、門司、高知、福岡(B29 221機が福岡市にM69とM47焼夷弾1,500トンを投下。死者902名、負傷者1,078名、行方不明者244名、焼失家屋1万2,693戸、被災者5万6,000名におよんだ。) 6月20日 豊橋、奈良 和歌山県田辺市会津町にB29による爆弾、死者16名『田辺市誌』、6月22日「湊三栖口の鉄道踏切付近までほぼ線路沿に5個の爆弾投下。家屋全壊5、大破10余戸、小破百数十戸、死者138、負傷70余人を出した」とある。 6月22日 名古屋、各務原(B29 44機 飛行場、航空廠、川崎航空の工場を爆撃、死者169名)和歌山、桑名、姫路、明石(川崎航空機明石工場、川西航空機姫路工場が標的。B29 78機 死者369人、重軽傷371人、罹災1,899戸)倉敷(B29 100機~130機)呉、徳島、四日市(B29 9機来襲、付近の工場を攻撃。死者3名、ほとんどの工場が壊滅、操業停止。) 和歌山県美浜町浜ノ瀬 死者51人「日高大空襲」和歌山県(旧塩屋村北塩屋)に爆弾 御坊市 御坊市名屋20人以上の市民爆死B29 24発の爆弾投下。 6月23日 茨城県下飛行場 6月26日 名古屋市街、造兵廠熱田工場、愛知時計永徳工場、住友ジュラルミン工場(B29 157機、死者426名、重軽傷327名、罹災4,016戸 鈴鹿、津、四日市(死者行方不明78名)各務原(B29 101機航空工廠や川崎、三菱の工場が壊滅、50数名の犠牲者)岐阜、大津、彦根(6月27日 B29 50機、1機が彦根市に機首を向け約20個の爆弾が落下。死者10名)京都(大阪市、堺市、布施市、豊中市(死者14名)、守口市、吹田市、池田市、茨木市、八尾市、岸和田市、泉大野市、牧方市)B29 100機死者707名、罹災4,688戸 名古屋市には終戦までに約2,600機の爆撃機が襲来、63回の空襲、60機以上の大空襲は16回、投下された爆弾、焼夷弾1万4,500トンを超える。死者7,800名以上、負傷者1万名超、被害戸数13万5,000戸以上。 6月28日 門司、佐世保 6月29日 室蘭、勝浦、岡山(B29約70機が警戒警報も空襲警報も出されず、約2時間にわたって焼夷弾をばらまき、市街大半を焼き尽くす。死者約1,200名、罹災者12万名、罹災家屋2万5,000戸。)下松、佐世保(B29 149機、死者1,300名)延岡 6月30日 酒田港 7月1日 呉(B29約80機、約1,000トン、8万発の焼夷弾を投下。市街火の海、死者1,812名、重軽傷者26名、軽傷者337名、行方不明者52名、建物の全焼2万1,052戸、罹災者12万2,535名)下関、熊本 和歌山県海南市(日方地区と日方川北岸の旧国道をはさむ一帯)大空襲、死者48人、負傷者36人、被害家屋194戸。 7月2日 海南、下津町(和歌山県) 和歌山県下津町、大崎村と丸善石油大空襲、死者37名。B29 39機、250キロ爆弾投下。1,187発の47~48発製油所構内命中、1,000発以上が周辺民家へ。 「…タンクの方の山へ逃げた人びとが蜜柑畑でたくさんやられた。蜜柑の木に遺体が何体もひっかかっていた。…」 丸善爆撃に関する米軍資料について『戦術作戦任務報告書』の資料に添付されている米軍の地図の中に、湯浅湾では黒島、鷹島、栖原、田が出ている。 7月3日 姫路(7月3日~7月4日 B29 106機 死者173名、重軽傷160名、罹災戸数1万0,287戸)淡路、徳島、高知、佐世保、大村、出水、鹿屋 7月4日 徳島(B29 100機による空襲、焼夷弾が次々と投下、市街の62パーセント灰となる。死者984名、負傷者約2,000名)高知(B29 50~80機が来襲、油脂焼夷弾を大量投下、市街の大部分が焦土。死者401名、重傷者95名、軽傷者194名、行方不明者22名、罹災者4万0,737名)高松(B29  116機で波状攻撃、高性能爆弾は97発、焼夷弾9万8,062発。市街約80パーセント焼失。死者1,359名、負傷者1,034名、建物の全焼1万8,913戸、罹災者8万6,400名。) 7月5日 下館、西筑波、東金、勝浦、横芝(千葉県)、島原 7月6日 八王子、村山村、南多摩(B29 100機)清水、甲府、下津町(和歌山県)甲府(B29  131機、1,027名の死者、1万7,920戸全焼被害) 7月7日 明石(B29 123機 死者360人、重軽傷323人、罹災戸数9,075戸)千葉市(B29 129機による空襲、軍関係施設、市街地が狙われ、約890トンの焼夷弾で中心街ほとんど焼失。「七夕空襲」とも呼ばれ、死者1,204名、罹災戸数約8,500。 7月8日 玉島 7月9日 仙台、新潟、富山、和歌山(突如B29の大編隊が和歌山市を襲う。午後10時半前後に和歌山県、紀州沖に空襲警報が発令、午後11時過ぎに和歌山下にB29の大編隊。第1波、第2波、第3波とB29が焼夷弾を降らせ、波状攻撃にさらされた。約800トンもの焼夷弾 死者1,101名(諸説あり)、重軽傷者4,430名、行方不明約200名。和歌山城をはじめ市街地の多くが焼かれ、和歌山市役所や警察署などの公官庁施設と住宅3万戸以上が全焼、罹災者は8万2,000とも11万3,000ともいわれ、大阪造兵廠和歌山支廠、和歌山鉄工所などの多くの工場も焼失大打撃。)四日市(B29 50期)岐阜、大阪(吹田市、池田市、P51 50機、死者1名)堺、関門 7月10日 仙台(B29 124機、高性能爆弾8発と912トンの焼夷弾投下。降り注ぐ12万発の焼夷弾の雨の中を逃げ惑う。一面焼け野原、この空襲による罹災戸数1万1,933戸、総被災面積5,000平方キロ。犠牲者は901名、罹災者は全市人口の約26パーセントに及ぶ5万7,000名。関東地区飛行場(下谷、板橋、立川、他 B29 226機)(横浜市、横須賀市、愛甲郡、高座郡、足柄下郡、 艦上機420 死者9名、重軽傷者15名)堺(B29 100機による大空襲、焼夷弾の波状攻撃 死者1,860名、重軽傷者972名、罹災者約7万名)、大阪南部、大阪付近飛行場、亀岡、尼崎、島原、熊本、八代 和歌山県那智勝浦町浦神 米艦載機8機上空に飛来し機銃掃射。死者1名 和歌山県由良町沖で小型貨物船「スミカ丸」(100トン)銃爆弾 死者2名 7月12日 宇都宮(B29 133機の大編隊、2時間にわたり約800トン、1万発以上の焼夷弾を投下。死者620名以上、負傷者1,100名以上を出す。一夜で灰燼。郡山、鹿沼(横浜市鶴見区、川崎市(臨港)B29 50機 死者215人、重軽傷133名、罹災98戸)敦賀、若狭、一宮、各務原、宇和島 7月13日 仙台、敦賀、一宮、宇和島 7月14日 函館、室蘭、釧路、帯広、根室、苫小牧、旭川、網走、小樽、本別 関東地方を襲った13隻の空母を中心に約2,000機もの艦載機の空襲で航空基地、工場、港湾施設、鉄道などの交通インフラに対する攻撃、市街地も機銃掃射や爆撃。 釧路 7月14日から15日、140機の艦載機による銃爆撃 死者183名、負傷者273名、罹災家屋1,618戸、罹災者6,000名を超える。 根室は北海道と千島列島を結ぶ連絡路の要地であったため、B29 240機来襲 死者199名、負傷者273名、罹災家屋2,357戸。 函館は北海道と本州を結ぶ交通の要衛であったため、攻撃は港湾施設と船舶に集中、輸送網は壊滅し、死者79名。 室蘭は鉄鋼メーカーの工場があり、重要な工業地帯で14日から15日にかけて空襲、根室を艦砲射撃 死者427名、負傷者109名。 敦賀海峡、青森(来襲した艦載機青森駅の操車場、市内の学校、青函連絡船の第2青函丸、第6青函丸撃沈、15日は第1青函丸沈没、計13隻の青函連絡船が撃沈破)大湊、八戸、三沢、釜石(米軍の機動部隊、戦艦3隻、重巡洋艦2隻、駆逐艦9隻 日本製鉄釜石鉄工所を艦砲射撃、約2,600発の砲弾が撃ち込まれた。死者423人)、秋田、石巻、半田 7月15日 前日の北海道、東北各地、名古屋(南区、西区、北区、鳴海町)、B29 100機 死者6名、重軽傷20名、罹災6戸 各務原、尼崎、下松(日本石油の下松工場、6月13日と7月15日に、B29 91機、68トンの爆弾が投下、工場の62パーセント破壊) 7月16日 土浦、勝田、平塚、茅ヶ崎、沼津、桑名、新宮、大分 7月17日 関東、日立(製作所にアメリカ海軍艦砲射撃、戦艦5隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦9隻、イギリス海軍の戦艦3隻)宮城、福島地区、福井 和歌山県新宮市阿須賀在方面に焼夷弾 200余戸焼失、死者2名 7月18日 関東(横浜市、横須賀市、三浦郡、鎌倉郡、愛甲郡)艦上機250 死者15名、重軽傷98名、罹災93戸 東北地区 7月19日 日立(B29 127機から960トンの焼夷弾投下 死者140名以上、主要建築物はことごとく破壊)高萩、銚子(B29 91機による死傷者1,081名)福井(B29 127機 市の周辺部から、市の中央部へ焼夷弾を投下。2万6,000戸の被害) 7月20日 小牧、岡崎(B29約100機が約850トンの焼夷弾(1万2,000発)犠牲者207名、重軽傷者328名、罹災者3万名超)豊橋、大津、各務原 7月22日 (豊中、吹田、池田、伊丹)B29 200機 死者2名、罹災9戸 下松、宇部 7月23日 松江、安来 和歌山県新宮市伊佐田方面大空襲(午前10時)死者およそ50人 和歌山県那智勝浦町、浦神で列車停泊船らに機銃、死者3名 7月24日 名古屋(港区、愛知時計永徳工場)B29 71機 死者167名、重軽傷208名、罹災262戸 半田、津、桑名、和歌山、大津、宇治、大阪市、布施市、守口市、池田市、枚方市)B29 400機 死者220名、罹災555戸 西宮(704戸罹災、死亡133名)宝塚(川西航空機宝塚製作所B29 77機901個500キロ爆弾投下 106名死亡)西大寺(岡山県)、松江、安来、徳島、新居浜(死者13名)、高知、東海以西(地区飛行場、船舶(呉軍港)「呉沖海戦」ともいわれ、米艦上機延べ870機が十爆撃、戦艦「伊勢」「日向」沈没、大破。) 和歌山県日置川町大空襲 死者48名。和歌山県橋本市の駅付近機銃掃射 死者5人 7月25日 青森、平、横浜市鶴見区、川崎市扇町、大川町(B29 50機 死者115人、重軽傷98、罹災93戸)藤沢、一宮、津、宇治山田、尾鷲、有田、大垣、彦根、相生、米子、松江、安来、八束郡、津久見、島原、東海以西地区飛行場、船橋 和歌山県田辺市内、駅、神田町、元町、目良で艦上機による小型爆弾と機銃掃射で死者6名 和歌山県串本町(旧潮岬村)で機銃とロケット弾、串本町(旧串本町と旧潮岬村)で艦砲射撃 死者3名 基地内でも2人死亡(町長報告)(合計6人説もある。) 7月26日 磐城(B29による空襲で、死者3名、罹災戸数5,250戸)徳山(B29が来襲、焼夷弾、小型爆弾を投下、東西南北十文字に爆撃、死者482名、負傷者469名、罹災面積108万坪、建物の全焼4,590戸、罹災者1万6,512名)松山(B29の編隊が焼夷弾を雨のように降らせ、市街地灰燼 死者251名、罹災戸数1万4,300戸) 7月27日 郡山、大牟田(死傷者862名)、熊本、鹿児島(B29と艦載機による鹿児島駅周辺に執拗な爆撃、機銃掃射 死者420名、負傷者650名) 和歌山県有田市(椒村)東亜燃料大空襲 死者およそ22名。B29の大編隊80機による。家屋全壊40、半壊700 7月28日 津(7月24日 B29約70機、28日の両方で死者1,239名)青森(B29 61機で青森市に約8万本の焼夷弾、88%が市街地焼失、死者1,767人、罹災者7万人。平、一宮、宇治山田、下津町(和歌山県)、大垣、宇和島、呉軍港(米艦上機延べ約950機、及びB29、B24爆撃機約110機が残存軍艦へ銃爆撃、艦船45隻が沈没。)東海・九州・中部・関東地方(板橋、三鷹、調布、五日市)B29 40機(横浜市、横須賀市、川崎市、平塚市、愛甲郡、中郡)P51 50機 死者5人、重軽傷40人) 和歌山県田辺市神子浜と海兵団にB29による焼夷弾 死者1名、兵多数死亡 和歌山県湯浅町の湾内に米小型機墜落 7月29日 郡山(B29 3機 郡山駅と工場に爆弾を投下 死者39名)浜松、新宮、田辺、大垣、舞鶴(29日30日の延べ240機の艦載機による空襲 死者180名)三田町(兵庫県)宇和島、宇部(模擬原爆「パンプキン」4.5トン3発投下) 和歌山県新宮市に潜水艦より艦砲射撃 死者1名 7月30日 敦賀、和歌山、新宮、彦根、宮津、狭山(京都)(舞鶴)(豊中市、吹田市、池田市)艦上機130 死者4、罹災者7 関東、東海・中部地区飛行場、船舶、工場、鉄道 7月31日 鹿児島 8月1日 水戸、八王子(B29 169機)、立川(横浜市、鶴見、津久井郡)B29 100機 死者70名、重軽傷26名、罹災172戸 浜松、清水、長岡(B29 126機、925トンの焼夷弾投下、死者1,143名、焼失家屋1,985戸)宇治山田 8月2日 富山(突如として空襲警報が鳴り響きB29の大編隊が姿を現し、市街地の98パーセント以上を焼失 死者約2,700名、負傷者約8,000名、罹災者約10万人)八王子(B29 169機 焼夷弾約1,600トン投下。降り注ぐ焼夷弾から逃げるため、多くの市民が浅川などに避難。市街地のほぼ全域が焼失。死者約4,000名、負傷者約2,000名)水戸(B29 167機来襲、約1,150トンの焼夷弾を投下、犠牲者は死者300名を超え、負傷者1,300名、市街は完全に焼失、罹災戸数約90パーセントに及び、1万戸を超える。)長岡、(八王子、立川、砂川、昭和町、福生)B29 310機 8月3日 関東地方(杉並、滝野川、王子、板橋)B29 64機 8月4日 房総南岸、犬吠崎沖、東海 8月5日 前橋・高崎(B29  92機 死傷者1,323名)、銚子、館山、八王子(P51戦闘機多数が硫黄島から飛来、八王子駅や中央線湯の花トンネル付近を走行していた列車を機銃掃射。死傷者200名以上という犠牲を出し、戦中の列車旅客死傷者数では最悪。機銃掃射の痕跡は今もJR高尾駅(八王子市)のホームに残されている。)守山町(滋賀県)、芦屋、西宮(8月5日夜半から翌6日未明にかけ、B29約130機による阪神大空襲。死者485名、負傷者1,750名、罹災者5万名。)尼崎、今治、差が、垂水、宇部(宇部市の土を灰にして生きものの棲息を許さない爆撃、5トンの超大型爆弾が帝国燃料興業宇部工場の息の根を止める。) 8月6日 関東地方、広島(午前8時15分17秒、「エノラ・ゲイ」と名づけられたB29は、爆弾倉から「リトル・ボーイ」と呼ばれる4トンの濃縮ウラン型原子爆弾が相生橋から南東に流されながら落下、島病院の上空約580メートルで炸裂。時刻は午前8時16分。この瞬間広島は死の街と化した。 広島県発行の『原爆30年』によれば、原爆投下時に市内にいた日本人は約42万名と推定。徴用などで連れてこられた朝鮮人が「数万人」いたといわれる。このうちの約15万9,000名が5ヵ月後の12月末まで死亡。死亡者はその後も増加し、被爆1年後の死亡者は約16万4,000名(現在までの犠牲者は30万名以上といわれる)。) 今治(死者522名)、都城、鹿児島 8月7日 八王子、厚木、平塚、小田原、豊川(B29 124機が街を襲った。高度約5,500メートルから約800トン、3,253発に及ぶ爆弾を投下。この爆撃により豊川海軍工廠は壊滅し、女子学生258名を含む2,544名が犠牲。) 8月8日 敦賀、福山(B29約91機による空襲、約1時間にわたって市街地の波状攻撃、約5,700発の焼夷弾を投下。一夜にして焼け野原、被害は市街地の80パーセント、3141ヘクタール、人口の81パーセントに当る4万7,322名が被災し、死者348名、重症者864名を出す。『ニューヨーク・タイムズ』はこの日の空襲を「約100機のB29第4部隊は、工業都市福山の上空を襲い、1分弱の間隔をおいて約600トンの焼夷弾を投下した」と報じた。)芦屋、宇和島(死者240名)「女神丸事件」(8月8日、小豆島―高松間の定期航路の120トンの小型客船「女神丸」が高松入港直前、屋島沖合で艦載機の執拗な機銃攻撃により、死者22名、負傷者数十名を出す。) 八幡、大牟田、宇治、巌原町(長崎県)東京(足立、板橋、武蔵野、新島)B29 64機 8月9日 八戸、一関、釜石(艦砲射撃に襲われ、約2,800発の砲弾が降り注ぎ、釜石鉄工所は完全に破壊、社宅街に被害が及び、犠牲者は271名。)、花巻、秋田、山形、石巻、郡山、新潟、長崎(昭和20年8月9日、午前11時2分、B29「ボックス・カー」が長崎市に、高度9,000メートルからプルトニウム爆弾「ファットマン」を投下。放物線を描きながら落下、約1分後地上からおよそ500メートル上空で爆発、激しい閃光が起こり、さらに強烈な爆風と熱が襲い、原爆のキノコ雲の下で街並みは一瞬にして消滅し、キリスト教信仰のシンボルである浦上天主堂は、爆発により煉瓦は一瞬にして崩れ落ち数本の柱と壁だけを残して崩壊。信者は約1万2,000名、そのうち約8,000が犠牲になったといわれている。長崎市原爆資料保存委員会が推定した犠牲者の数は、死者7万3,884名、重軽傷者7万4,909名。)串木野、川内(鹿児島県) 8月10日 真室川町(山形県)、酒田、郡山(艦載機約100機による空襲、新潟港、房総、東京周辺工業地帯(板橋、王子、滝野川、他 B29 150機)横浜市(艦上機 死者3名)、大分、熊本、宮崎 和歌山県串本町中心部南地区にB29 による13発の爆弾 死者14人 8月11日 久留米(約4,600戸の家屋が焼失、二百数十名の死者)鳥栖 8月12日 郡山、松山、久留米(グラマンおよびロッキード型10数機来襲、筑後川の国鉄鉄橋とレール爆撃)、佐賀 8月13日 成東町(千葉県)、小田原、大月、長野、松本、上田、須坂、尼崎、東京(京橋、品川、蒲田 B29 60機)(横浜市、川崎市、平塚市、足柄上郡、足柄下郡、小田原市、藤沢市、高座郡)艦上機800 死者56人、重軽傷73人、罹災37戸 8月14日 熊谷(B29 89機 グアム島とテニアン島から飛来、警戒警報が発せられておらず、市民は逃げ惑った。約8,000発の焼夷弾投下、4,000ポンド爆弾6発投下、2.5平方キロメートルあたり9万7,000トンと非常に濃い爆撃密度、死者250名以上、罹災者1万5,000名以上。豊田、春日井、大阪(大阪市東区、城東区、都島区、東成区)B29 100機 死者201人、罹災654戸 光、佐伯、岩国(B20 108機来襲、2,839発の爆弾を投下、激しい空爆を人々は“死の夕立”、約30分の攻撃で市街地は穴だらけ。)死者517名、負傷者859名、罹災者592名。 8月15日 秋田、仙台(B29 空襲)、高崎、伊勢崎、太田、桐生、熊谷、行田、小田原(終戦の日に空襲された小田原、突然、爆撃を受ける。海岸線付近の商店街や花街が火に包まれ、死傷者約200人、罹災者1,500人以上、犠牲者の詳細な数字は判明していない。)青梅(B29 8機) 米国戦略爆撃調査団は死傷者を25万2,769名 東京新聞は平成6年(1994)に55万8,863名と報道。 日本経済新聞は平成23年に死者33万、負傷者43万名と報じる。 イタリア・トルコ戦争(1911~12) 1911年10月 トルコとの戦争が始まると、イタリア軍は、トルコ領リビアに9機の飛行機と2機の飛行船を派遣。10月26日に敵陣に手榴弾を投下。トルコ・アラブの拠点に330発の爆弾を落とす。 第1次世界大戦(1914年~18年)で、最初は飛行機が偵察や地上部隊の援護に使われ、やがて空中戦も行われ都市などを目標とする戦略爆撃 ハイチの反乱(1918~19) 1915年、ハイチ共和国でアメリカ海兵隊が軍政を布くと国民はゲリラ戦で抵抗。海兵隊は飛行隊を出動させ地上部隊を支援、ピンポイント攻撃で敵兵を爆撃。 1915年5月25日 ドーヴァー海峡に面したフォークストンにドイツ軍ゴーダ爆撃機が飛来、95人死亡 1917年6月13日 ゴーダ爆撃機によるロンドン空襲 ドイツ軍ゴーダ14機、リヴァプール・ストリートに爆弾投下。ポプラーでは爆弾が学校を直撃、クラスの児童18人を含む死者162名、432名負傷 1921年 イタリアの将軍ジュリオ・ドゥーエが著書『空の支配』を発表。住民の戦意を失わせる無差別爆撃の効果を強調、高性能爆弾、焼夷弾、毒ガス弾を装備した重爆撃機隊による人口密集地への空爆は戦争を早期に終らせる決定的手段であり、地上戦より自国軍の生命や費用を節約できる人道的手段とまで論じる。 リーフ戦争(アブドゥル・クリムの反乱)(1919~26) リーフ戦争、アンワールの戦い(1921年7月22日~8月9日)、リーフ共和国軍がモロッコ北部のリーフ地方のアンワールでスペイン軍を倒し、マルセマス湾の戦い(1925年9月8日~30日)でリーフ共和国を攻撃したスペイン軍が勝利を収める。空からは機銃掃射や爆撃、4年間に約400~510トンの毒ガス使用、住民・村落・市場・役畜・収穫物まで破壊。 イタリア・エチオピア戦争(1935~36) 1935年10月31日 イタリアがエチオピアに侵攻、ファラシャ人はエチオピア人とともにファシストからの祖国解放のために戦う。イタリア軍は戦争中にも占領中にも各地で無差別爆撃と毒ガス攻撃。エチオピア帝国最後の皇帝ハイレ・セラシエは1936年1月、国際連盟総会で毒ガス被害について演説。「イタリア軍飛行機には毒ガスの噴霧器が取り付けられていたので、微細で致死性の毒ガスを広範囲に散布、1936年1月からは丘工、女性、子ども、家畜、川、湖と野原がこの果てしない雨でびしょ濡れにされた。生きとし生けるものを滅ぼし、さらに水路と牧野を確実に破壊するために、イタリア軍司令官は飛行機を巡回。人も動物も滅んだ。死の雨にふれた人は皆逃げ出し苦痛の叫びをあげた。」 マドリード防衛線(1936年11月8日~23日) フランコ反乱軍は、約2万の反乱軍兵士が、マドリード攻撃、イタリアのファシスト政権、ドイツのナチ政権支援、共和国軍、装備も経験も少ない3万の兵、英国・フランス・イタリアの義勇軍派遣、共和国側守りきる。ドイツ軍の爆撃機による空襲、焼夷弾投下。 ゲルニカ爆撃(1937年4月26日 スペイン内戦で、1937年3月18日(グアダラハラに戦い)で、イタリア軍3万5千人が人民戦線により撃滅、その報復として、ドイツ空軍はスペインのバスク地方の聖なる町ゲルニカを無差別爆撃。ニンカース52型戦闘機6機、ハインケル51型戦闘機20機、メッサーシュミットBf109型戦闘機6機、サヴォイア79 3機(イタリア機)のよる爆撃、戦闘員と非戦闘員の概念は時代遅れであるとしたドゥーエ理論を実践、これ以後の戦略爆撃の始まりを告げる。 4月26日は月曜日、ゲルニカの市場が開かれる日。近隣の村から人々が、ニワトリ、野菜、家畜の肉を売りに集まり、5千人余りの住民、2千600人人の避難民もいた。最初の飛行機にたけり狂った若い牡牛があちこちに逃げまどう。人々はパニックを起こし、避難しようと家に走り込む。爆撃の雨が降る。屋根が崩れ落ちる。火災が建物に次つぎに拡がる。5分ごとに爆撃機が低空飛行で町の上空を飛ぶ。いくつもの家族が近くの森に逃げ、その人たちに向かって飛行機から機銃掃射。残虐手口はのちの米軍の東京空襲に応用。恐怖の3時間15分、250kg爆弾39発、50kg爆弾262発、1kg爆弾5,472発、3,000発の焼夷弾、当時のバスク州政府の発表、死者1,654人以上、負傷者889人以上、市街地の70%炎上。 「青島爆撃」 錦州爆撃(1931年10月8日) 「満州事変」(1931年9月)勃発後、張学良軍と相対した関東軍独立飛行隊が遼寧省の交通・軍事の要地である錦州市街地を爆撃。第1次世界大戦とゲルニカ爆撃の間に起きた都市爆撃の1画期。日本政府は軍事目標に対する正当な爆撃と主張、アメリカ政府は「無防備都市への無警告爆撃」と非難し、翌32年国際連盟から派遣されたリットン調査も無差別爆撃を示唆。 ○南京渡洋爆撃(1937年8月~1938年)1937年8月15日蒋介石政権の所在地南京に対して日本本土からの海洋爆撃。長崎県大村基地を発進した96式陸上攻撃機20機は南京上空まで960キロを各機60キロ爆弾12発を搭載して4時間で飛行し、目標とされた2ヵ所の飛行場に投下。同日台湾の台北基地から96式陸上攻撃機が江西省南昌への渡洋爆撃。 1937年11月 海軍による南京爆撃は計36回、参加機600機、投下爆弾300トン 1938年10月27日の武漢三鎮占領にいたる16日間に海軍航空隊だけで航空機1万機、使用爆弾3万5,000発、約3,000トン、地上銃撃用機銃弾約32万発。 第1次上海事変(1932年1月28日~3月3日) 日中両軍が上海で衝突、日本海軍航空隊が空爆の主役として登場、航空母艦発進の艦上戦闘機、爆撃機が都市爆撃、民族主義の温床と目されていた労働者階級の暮らす地域は、空と海からの激しい攻撃の対象となる。 重慶爆撃(1938年10月~1943年8月) 重慶爆撃は1938年12月から海軍は39年5月から開始。事実上の無差別攻撃である。5月3日と4日に実施された海軍機の爆撃は、中攻45機(3日)と27機(4日)は大きな抵抗を受けることなく上空に侵入、焼夷弾投下の成果が大きく、3日が死亡者673人、負傷者350人の市民の犠牲、4日には四川省南部に無差別攻撃、死者3,318人、負傷者1,937人の犠牲、1940年実施された「101号作戦」において同年5月から9月まで112日間32回(中国側記録では80回)に及んだ連続空爆は、市街東端から順次、A、B、C、D地区に、区分して、地区別に絨毯爆撃をかける。爆撃機2,023機、爆弾10,021発、1,405トン 中国側文書によれば空襲で、死者4,149人、負傷者5,411人、損壊家屋6,952戸。爆撃は1943年8月23日まで続き、1万1,889人が死亡。 1941年の「102号作戦」では、使用機数2,389機、攻撃回数20回(うち重慶14回)爆弾1万5,036発。中国側記録で死傷者1万0,038人、1941年6月5日には、防空洞に避難した多数の住民が酸欠と混乱により死亡する「大隧道窒息惨案」が起き死者1,000人前後から1万人近く。 ワルシャワ陥落(1939年9月8日~9月27日) ワルシャワ爆撃においてドイツ空軍は発電所、浄水場、排水施設、製粉工場を標的に攻撃、住民は餓死寸前まで追い込まれ、腸チフスの蔓延を顧みず、直接ヴィスワ川の水を飲まざるを得ない状況。ポーランド、ドイツへ無条件降伏。民間人2万8,500人死亡、5万人負傷。 ロッテルダム爆撃(1940年5月14日) ドイツ軍の54機のHei111、アムステルダムの町に90トンもの爆弾を投下。1.000人の市民が死亡し、市街地は破壊され、8万5,000人の市民が住居を失う。 バトル・オブ・ブリテン(1940年7月10日~10月12日) 1940年7月ドイツ空軍はイギリス海峡の護送船を標的にして南岸部における多数の港を攻撃、8月12日英本土爆撃、ドイツ空軍は長距離爆撃機1,260機、急降下爆撃機320機、双発戦闘機280機、単発戦闘機800機、イギリス軍戦闘機900機、レーダー探知システムで応戦しドイツ作戦失敗。 タラント空襲(1940年11月11日~12日) イギリス軍はイタリア南部タラントを拠点とするイタリア軍へ大胆な夜間攻撃。空母の登場で戦艦時代遅れになる事を実証。 ロンドン大空襲(1940年9月~1941年5月) 1940年9月7日 ドイツ空軍のロンドンへの昼間爆撃、すぐに夜間爆撃に変更されイギリス軍の反撃困難、76日間に及ぶ連続夜間攻撃。 1940年11月 重工業都市コヴェントリーに対する空襲、メゲレート電波航法装置が誘導する爆撃機509機が旧市街中心の大半を破壊、380人死亡、865人負傷。「コヴェントリー化」 1941年5月、ヒトラーがソ連侵攻を決定すると、イギリス空襲は終わりを迎えるが、5月10日夜、ロンドン中心部に落とされた爆弾で死者1,364人、負傷者1,616人、 イギリスはこの空襲で市民4万3,000人死亡、13万9,000人負傷 ドイツ軍のモスクワ空襲(1941年7月~10月) ドイツ軍は1941年6月22日バルバロッサ作戦を発動し、9月レニングラードの包囲作戦とともに実施。 真珠湾攻撃(1941年12月7日) 1942年3月28日、英空軍ランカスター234機が、北ドイツの港町、中世の町並みが残り木材建築が密集していたリューベックに向け夜間無差別爆撃1,000人以上の死者。焼夷弾30トン投下。報復としてドイツもカンタベリーなどイギリスの歴史的都市を爆撃、5万棟に及ぶ建物と重要文化財を破壊。 1942年5月30日 イギリスによるドイツ都市ケルン爆撃、1,100機により焼夷弾915トン、爆弾850トンを投下、4万5千人が焼け出され2万人死亡。 ダム破壊攻撃(1943年5月16日~17日) イギリス空軍がドイツルール地帯のダム3基を爆発するため、爆弾重量4,200kgの爆弾、メーネ・ダムを破壊に成功し、水が氾濫して洪水を起こし、下流の工業地帯を押し流し約1,300人死亡。 ハンブルク空襲(1943年7月24日~8月3日) イギリス軍は夜間爆撃、アメリカ軍は昼間爆撃を分担、ハンブルクに6度の大規模な空襲が行なわれ、7月28日に大量の焼夷弾を投下、地域全体を焼き尽くし、10㎢が火の海、温度は815°Cまで上昇、火災旋風が吹き荒れる。民間人死者4万5,000、少なくとも3万7,000人負傷。 ベルリン空襲(1943年11月18日~1944年3月25日) 最初の爆撃は11月18日に開始、イギリスの空軍爆撃機444機が攻撃、1944年3月には9,111人の出撃部隊がベルリンへ、周辺の町に19回の空襲、3月30日、ニュルンベルクの空襲でドイツ軍に完敗も、民間人死者約4,000、負傷者1万、家屋喪失45万。 ビッグウィーク(1944年2月20日~25日) 2月20日、アメリカ空軍は強力な護衛部隊を引き連れ、3,000機の爆撃機と主力部隊として「ビッグウィーク」作戦を敢行。工業地帯の被害を拡げて行く。 ドレスデン空襲(1945年2月13日~15日) 2月13日と翌14日の夜、イギリス空軍は、ドレスデンを空襲し、高性能爆弾と焼夷弾2,500トンを投下、空爆による火災で2万5,000人死亡。 空襲によりドイツ、フォルツハイム2万人、マクデブルク1万5,000人、カッセル1万3,000人、ダルムシュタット1万2,300人、ハイルブロン7,500人、ミュンヘン6,300人 硫黄島の戦い(1945年2月19日~3月26日) ニューメキシコ州で人類初の核実験が行われる(1945年7月16日) 日本、ポツダム宣言を受諾(1945年9月2日) 真珠湾攻撃(1941年12月7日) 1941年ハワイ時間12月7日奇襲攻撃。淵田美津雄中佐指揮の真珠湾第1攻撃183機は、上空到着後、淵田の突撃命令の下、一斉に攻撃を開始。淵田は「トラ・トラ・トラ(我奇襲に成功セリ)」と打電。 戦後、1951年(昭和26年)3月25日洗礼を受ける。 1952年(昭和27年)アメリカサンノデを起点に軽飛行機で全米各地を伝道して回る。「父よ、彼らを赦し給へ、その為す処を知らざればなり」(ルカ23、34) 1953年(昭和28年)2月1日キャンサス市でトルーマン前大統領と出会い。「キャプテン、真珠湾はね、ボス・ギュルチィ(両者有罪)だよ」という言葉を受ける。 1953年(昭和28年)2月22日(日)ワシントン・ナショナル長老教会で第34代大統領アイゼンハワーと礼拝に参加。 12月8日未明、日本軍の雷撃機・爆撃機の第1波が、アメリカ太平洋艦隊の基地、真珠湾にあるアメリカ艦隊、湾岸軍事施設を攻撃、およそ90分後、第2波の最後の機影が去った時点で、戦艦8隻、巡洋艦3隻、駆逐艦3隻に対し、沈没させるかもしくは甚大な被害を与え、航空機全体では188機を破壊、さらに155機にも被害を与える。(アメリカ軍戦死2,400人、負傷者1,250人、民間人犠牲者90…日本軍戦死64) 硫黄島の戦い(1945年2月19日~3月26日) アメリカ、硫黄島に星条旗を掲げる。 1945年、東京を戦闘機の航続距離の圏内に捉える硫黄島をアメリカが押さえれば、B29がマリアナ諸島から日本本土に空爆を行う際、戦闘機を補充したり、整備することが可能になる。 日本軍、栗林忠道中将の率いる兵力2万1,000以上に達する。自殺同然の「万歳」攻撃を禁じる。 硫黄島の戦いは、太平洋戦争で唯一、戦死、負傷を合わせたアメリカ軍の損害が日本軍を上回る。 ガンディー暗殺される(1948年1月30日) 狂信的なヒンドゥー教徒が非暴力不服従運動の父ガンディーを暗殺。 国境会議(北朝鮮の韓国侵攻)(1950年6月25日) 朝鮮半島が冷戦によってふたつに分断され、北にはソ連の後ろ楯を得た社会主義政権、南部には親米政権樹立。 (1950年7月26日) 朝鮮戦争出動の国連軍が編成完了、16ヵ国参加(最高司令官マッカーサー)。 戦線は蒸器ローラーのように朝鮮半島を往復「ナパーム弾とB29」の組み合わせで、第2次大戦下の日本空襲より大量の爆弾が主に北朝鮮の都下や工場に投下され、首都ピョンヤンは完全に瓦礫となる。 釜山橋頭堡の戦い(1950年8月~9月) 米空軍、B-29爆撃機をもって平壌飛行場爆撃(1950年6月29日) 米空軍、元山精油所を爆撃(1950年7月18日) B29、98機、倭舘対岸にじゅうたん爆撃(1950年8月16日) 仁川上陸作戦(1950年9月15日~17日) 国連軍の北朝鮮侵攻(1950年10月1日~12月24日) 中国共産党軍が、チベットに侵攻(1950年10月7日) トルーマン米大統領、北朝鮮で原爆の使用も辞せずと発言(1950年10月30日) 長津湖の戦い(1950年11月27日~12月13日) イムジン川の戦い(1951年4月22日~25日) 国連空軍101機とミグ機155機の空中戦(朝鮮戦争最大の空中戦) 加平戦闘(1951年4月22日~25日) (1952年10月3日)英、初の原爆実験 ポークチョップ・ヒルの戦い(1953年4月16日~7月10日) 板門店で朝鮮休戦協定調印(1953年7月27日) 朝鮮戦争で45万4,000(t)の爆弾投下 ロックンロールが、アメリカで大ヒット(1954年4月12日) ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの『ロック・アラウンド・ザ・クロック』が、レコーディングされる。1955年にリチャード・ブルックスの『暴力教室』に使われたとたん、急速に人気が上昇。新たな若者文化の象徴となる。 ○東京・ゲルニカ・重慶<岩波書店> ベトナム戦争第1次北爆(1965年3月2日~10月31日) アメリカが北ベトナムに対して行なった空爆で、アメリカ軍の内部では「ローリング・サンデー」というコードネームで呼ばれ、史上屈指の大規模空爆作戦であり、ナパーム弾、ボール爆弾、枯葉剤、化学兵器が空からまき散らされ「ジェノサイド(皆殺し)」「エコサイド(環境破壊)」「バイオサイド(生物死滅)」と形容される史上最大の破壊戦争である。投下された爆弾は8万6,400トン、B-52、F-4ファントム、F105サンダーバードなどで出撃の回数30万回以上、搭乗員の戦死と捕虜830.北ベトナム側は死者数万。 ベトナム戦争ハノイ・ハイフォン空爆(1972年12月18日~29日) 空爆の主軸として、B-52型爆撃機700回以上出撃、100機以上投入された電子戦機、爆弾は2万トン以上投下。アメリカ側航空機24人、死者43、捕虜49.北ベトナム側死者1,600名以上。ベトナム戦争では606万2,000(t)の爆弾投下。 ジェームス・ディーン事故死(1955年9月30日) 映画スターで文化的象徴でもあったジェームス・ディーンが自動車事故で死亡。1955年の『理由なき反抗』で荒れたるティーンエイジャーを演じた彼は、24歳でこのような死に方をすることによって、1950年代の反抗的な若者文化の陰鬱な側面を自ら体現したのだった。 エルビス・プレスリーの『ハートブレイクホテル』大ヒット(1956年4月21日) 湾岸戦争砂漠の嵐作戦(1991年1月16日~2月26日) アメリカを中心とする34ヵ国の多国籍軍により、国連の承認を得て発動された作戦で、サダム・フセインのイラク軍をクウェートから撤退させることだった。1月16日、空爆が開始され、38日間で多国籍軍航空部隊は10万回以上が出撃、バクダードはひとつの町としては第2次世界大戦以降最大の空爆を浴びる。F-27A型ステルス爆撃機、巡航ミサイル「トマホーク」に代表される「ハイテク」な精密射撃兵器の投入。アメリカ軍の死傷776人、イラク側10万~12万 爆弾6万0,624(t)の投下。 ハンガリー動乱が起きる(1956年10月23日) ハンガリーはすぐにもワルシャワ条約から離脱するという首相イムレ・ナジの発表は、モスクワの我慢の限度を越えるものだった。11月4日、ソ連の支配を復活させるために20万のソ連兵と2,500台の戦車がハンガリーに送りこまれた。死亡3,000人、負傷者1万3,000人 ナジはKGBによって、銃殺 ロックンロールのスター、バディ・ホリー、飛行機事故で死亡(1959年2月3日) ビートルズ、ボブ・ディラン、そしてブルース・プリングスティーンにいたるあらゆるシンガーに影響を与える。 コソヴォ空爆(1999年3月24日~8月10日) NATOは旧ユーゴスラヴィアの自治州、コソヴォへの空爆作戦に踏み切る。この地域でセルビア人がアルバニア系住民に対して行なっていた「民族浄化」を中止させるための措置であった。損害、NATO側なし。セルビア側は戦死者600、民間人の死者500~3,000. アメリカ同時多発テロ事件勃発(2001年9月11日) テロリストがアメリカを攻撃し、罪のない3,000人が犠牲。 イスラム教徒のテロ組織アルカイダの影響を受けたイスラム過激派グループが、罪のない3,000人の人々を殺す。9月11日の朝、テロリストのチームが旅客機4機をハイジャック、2機はニューヨークに向かい、世界貿易センターのツインタワーに突っ込み、3機目はワシントンD.Cへ向かってペンタゴン(国務総省)に突っ込んだ。4機目はワシントンの議会議事堂へ向かったがペンシルベニアの地面に。9・11のあとアメリカは「テロとの戦い」を開始。 アメリカ、タリバンが9・11同時多発テロの指導者オサマ・ビン・ラディンをかくまっているとしてアフガニスタン空爆開始(2001年10月7日) トラボラの戦い(2001年12月12日~17日) アメリカを中心とする多国籍軍は北部同盟を支援してアフガニスタンに軍事介入。B52の大編隊の大規模空爆と並行して北部同盟の民兵と、アメリカ、イギリス、ドイツの地上部隊投入。 アフガニスタン戦争(2001年10月7日~2003年5月1日) イラク戦争イラク侵攻(2003年3月19日~5月1日) アメリカを中心とする多国籍軍は、サダム・フセインの独裁体制を打倒するためイラクへの侵攻を開始。 3月19日に行なわれた最初の空爆と砲撃、フセインの宮殿と政府各省が破壊。「衝撃と震怖」と名づけられた戦略。航空機に搭載した爆弾はGPS誘導で、かなりの精度でイラクの部隊や戦車を狙い撃ち。非戦闘員の死者3,200~7,300 ダライラマ14世、インドへ亡命(1959年3月31日) 中国が、チベットの精神的、政治的指導者ダライラマ14世を逮捕しようとしているという噂が広まり10万人のチベット人とともにインドへ亡命。 東西冷戦の象徴ベルリンの壁、建設始まる(1961年8月13日) ボブ・ディラン、1958年にニューヨークの「左岸」のグリニッジビレッジのクラブ「ガスライト」でデビュー(1961年9月6日) マリリン・モンローが、ロサンゼルスの自宅で死亡(1962年8月15日) キューバ危機勃発(1962年10月14日) キング牧師「私には夢がある」(1963年8月28日) マーティン・ルーサー・キング・ジュニアと公民権を求める人々が、20万人ワシントンで行進 ビートルズ、アメリカで大旋風(1964年2月9日) ビートルズがアメリカの「エド・サリバン・ショー」に出演。 マイクロソフト誕生(1975年4月4日) アップル社誕生(1976年4月1日) キッス、ライブインジャパン(1977年4月1日~4月4日東京・日本武道館) ボブ・ディランライブ、イン、ジャパン(1978年2月20日~23日、2月28日~3月4日東京・日本武道館) ソ連、アフガニスタン侵攻(1979年12月24日) ザ・クラッシュ「白い暴動」でデビュー(1977年3月)。B面の「1977」では、エルヴィスもビートルズも用なしだと歌って、ロックのオールドウェイブに挑戦状を叩きつける。ザ・クラッシュ、1979年『ロンドン・コーリング』発表。パンクの精神性は保ちながらも、レゲエやファンクを取り入れた多様なサウンドを展開。 ジョン・レノン死去(1980年12月8日) ビートルズの元メンバーで、世界平和の有名な運動家射殺される。 ザ・クラッシュ、LP3枚組『サンディニスター』を発表(1980年) パンクとレゲエに縛られず、ダブ、R&B、カリプソ、ゴスペルのほか、頭に浮かんだものは何でも放り込んだ。 中国・天文安事件が起こる(1989年6月4日) 南アフリカ、ネルソン・マンデラ、釈放される(1990年6月4日) 阪神・淡路大震災(1995年1月17日) 午前5時46分、神戸・洲本を中心に大地震。 地下鉄サリン事件が起こる(1995年3月20日) マザー・テレサ死去(1997年9月6日) アメリカ同時多発テロ事件勃発(2001年9月11日) スマトラ沖地震発生(2004年12月26日) ロンドン同時爆破事件が起こる(2005年7月7日) アメリカ、バラク・オバマ大統領の誕生(2009年1月20日) マイケル・ジャクソン死去(2009年6月25日) 「キング・オブ・ポップ」が、予定されていた長期公演を前に… 東日本大震災が起こる(2011年3月11日) 観測史上最大級の地震は3月11日午後2時46分に宮城県沖の深さ約24キロを震源として発生。 パリ同時多発テロ(2015年11月13日) 北朝鮮が初の水爆実験に成功と発表(2016年1月6日)

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